カメラ行列からレイトレ用のレイを生成する

これはKLab Advent Calendar 2017の11日目の記事です。

はじめに

先日、three.jsのexamples(公式サンプル集)で紹介されている「raymarching / reflect」に関して、2つのPRを送ってマージされました。

内部的なリファクタリングですので、目に見える変化はまったくありません。

レイトレーシングやレイマーチングでは、レイを生成する処理が必要です。 そのレイの生成処理を改良しました。 上記のPRでは、カメラ行列(モデル行列 + プロジェクション行列の逆行列)からレイの生成するリファクタリングを行いました。

レイの生成方法というのはとても奥深いテーマで、さまざまな実装方法があります。 この記事では、今回のPRに至るまでの試行錯誤をまとめたいと思います。

raymarching / reflect とは

「raymarching / reflect」は、three.jsによるレイマーチングのGLSL(GPU)実装の技術デモです。

無数のオブジェクトの描画はレイマーチングが得意とする表現です。 レイマーチングでは距離関数を利用してシーンの形状を定義します。 距離関数にmod関数を適用すると、同じ形状を無限に繰り返す repetition を実現できます。

three.jsによるレイマーチングのGLSL(GPU)実装の技術デモ: reflect

私が2年前に実装して、three.jsのexamplesに取り込んでいただきました。その時のPRはこちらです。

解説記事もあるので、もしご興味があればあわせてお読みください。

要するに、2年前に自分で作った作品を今になって改良しました。

レイの生成方法の試行錯誤

それでは、カメラ行列からレイを生成するに至った経緯を混じえながら、 レイの生成方法の試行錯誤について、実装した順番に紹介します。

方法1: GLSLで全てのカメラ制御を行う

2年前の初PR #7860 で実装したのは、マウス座標と経過時間から、フラグメントシェーダ(GLSL)の中でカメラのレイを生成する方法です。

シェーダに渡すuniformsは、マウス座標mouseと、経過時間timeの2つです。

  • uniform vec2 mouse;
  • uniform float time;

以下のGLSLのコードを書きました。レイマーチング(デモシーン)の界隈では最もメジャーな実装かと思います。

コード1 カメラ制御をすべて行うGLSLのコード

// fragment position
vec2 p = ( gl_FragCoord.xy * 2.0 - resolution ) / min( resolution.x, resolution.y );

// camera and ray
vec3 cPos  = vec3( mouse.x - 0.5, mouse.y * 4.0 - 0.2, time );
vec3 cDir  = normalize( vec3( 0.0, -0.3, 1.0 ) );
vec3 cSide = cross( cDir, vec3( 0.0, 1.0 ,0.0 ) );
vec3 cUp   = cross( cSide, cDir );
float targetDepth = 1.3;
vec3 ray = normalize( cSide * p.x + cUp * p.y + cDir * targetDepth );

※オリジナルのコードではY-upの扱いが間違っていたので、記事用に修正を加えています。

cPosはカメラのワールド座標、rayはカメラのレイの方向をそれぞれ表します。 また、カメラのY-upに対応する vec3( 0.0, 1.0 ,0.0 ) とカメラのFOVに対応する float targetDepth = 1.3; はコード上に埋め混んだ、いわゆるマジックナンバーとしました。

方法2: カメラの座標と向きを渡す

この方法は2年前の2つ目のPR #7863 で対応しました。

方法1でPRを送ったところ、three.jsの作者である@mrdoobからコメントをいただきました。 以下に一部を抜粋します。

However… I think it would be cool if, instead of passing mouse and time to the shader we would simply pass the camera. I guess for that we have to decompose the camera matrix into position and direction?

要約すると、GLSL側でカメラの位置や方向を決めずに、three.js側(JavaScript側)でカメラの操作を行うのはどうかという提案でした。 カメラ操作はthree.jsで行い、シェーダはカメラの情報を受取るようにすれば、three.jsの世界とレイマーチングの世界をより統合できます。

そこでシェーダに渡すuniformsを、カメラのワールド座標cameraPosと、カメラの方向cameraDirに改めました。

  • uniform vec3 cameraPos;
  • uniform vec3 cameraDir;

three.jsにはカメラの制御を行う Control クラスが豊富にあります。 この変更によって、three.jsの Control クラスを利用したカメラ制御を実現できるようになります。

この変更のあとで、FlyControl による自由カメラモードを実装しました。

次がレイを生成するコードです。 1つ目のコードとほぼ同じですが、 cPoscDir はthree.jsから送られたuniformの値を代入するように変更しました。

コード2.1 カメラの座標と向きをからレイを生成するGLSLのコード

// fragment position
vec2 p = ( gl_FragCoord.xy * 2.0 - resolution ) / min( resolution.x, resolution.y );

// camera and ray
vec3 cPos  = cameraPos;
vec3 cDir  = cameraDir;
vec3 cSide = cross( cDir, vec3( 0.0, 1.0 ,0.0 ) );
vec3 cUp   = cross( cSide, cDir );
float targetDepth = 1.3;
vec3 ray = normalize( cSide * p.x + cUp * p.y + cDir * targetDepth );

JavaScriptからシェーダにuniformを渡すコードはこんな感じです。

コード2.2 シェーダにuniformを渡すJavaScriptのコード

material.uniforms.cameraPos.value = camera.getWorldPosition();
material.uniforms.cameraDir.value = camera.getWorldDirection();

ワールド空間でのカメラの座標と方向を取得するメソッドはthree.jsに定義されています。便利ですね。

だだし、この方法にも問題がありました。

  1. カメラのFOVやY-upの情報をシェーダに送れない
  2. 毎フレーム実行する処理の中で、Vector3のインスタンスを生成していて、パフォーマンス的に懸念がある
    • camera.getWorldPosition()camera.getWorldDirection()Vector3new します
    • インスタンスを大量に生成することで、GCの頻度を高めてしまい、瞬間的にレンダリングを止めてしまう等の懸念があります

方法3: カメラ行列の逆行列を渡す

ようやく本題です。今回の2つのPR #12792#12801 で対応しました。

カメラ行列(モデル行列 + プロジェクション行列の逆行列)から、レイの向きを生成するようにしました。

シェーダに渡すuniformsは、カメラのモデル行列(ビュー行列の逆行列)cameraWorldMatrixと、プロジェクション変換行列の逆行列cameraProjectionMatrixInverseの2つです。

  • uniform mat4 cameraWorldMatrix;
  • uniform mat4 cameraProjectionMatrixInverse;

カメラ行列を渡すことで、これまでの実装では実現できなかったカメラのY-upとFOVも同期できるようになりました。 cameraWorldMatrixにY-upが、cameraProjectionMatrixInverseにFOVの情報が含まれています。

コード3.1では、まずスクリーン座標から正規化デバイス座標系のレイの方向ndcRayを求め、 それを行列変換によってワールド座標系のレイの方向rayに変換しています。

コード3.1 カメラ行列からレイを生成するGLSLのコード

// screen position
vec2 screenPos = ( gl_FragCoord.xy * 2.0 - resolution ) / resolution;

// ray direction in normalized device coordinate
vec4 ndcRay = vec4( screenPos.xy, 1.0, 1.0 );

// convert ray direction from normalized device coordinate to world coordinate
vec3 ray = ( cameraWorldMatrix * cameraProjectionMatrixInverse * ndcRay ).xyz;
ray = normalize( ray );

// camera position
vec3 cPos = cameraPosition;

ここで、ワールド座標からクリッピング座標への座標変換について考えます。

コード3.2 ワールド座標 => クリッピング座標 の変換 を行うGLSLのコード

// ワールド座標 => 視点系座標 => クリッピング座標 の変換
vec4 clipPos = cameraProjectionMatrix * cameraViewMatrix * vec4( worldPos, 1.0 );

行列Aの逆行列を利用すると、Aの行列による行列変換の逆変換ができます。

$V$をビュー行列(cameraViewMatrix)、$P$をプロジェクション行列(cameraProjectionMatrix)とすると、 逆行列の性質から、$PV$(ワールド座標 => 視点系座標 => クリッピング座標)の逆変換は、$V^{-1}P^{-1}$となります。

$$ (PV)^{-1} = V^{-1}P^{-1} $$

つまり、コード3.1では、cameraViewMatrixcameraProjectionMatrix の逆行列である $V^{-1}$(cameraWorldMatrix)と$P^{-1}$(cameraProjectionMatrixInverse)を乗算することで、逆変換(クリッピング座標 => ワールド座標への変換)をしていたのですね。

補足しますと、ビュー行列(cameraViewMatrix)とカメラのモデル行列(cameraWorldMatrix)はお互いに逆行列の関係にあります(その72 ビュー・射影変換行列が持つ情報を抜き出そう)。

クリッピング座標系を同次座標のwで除算すると、正規化デバイス座標系に変換できます。 ndcRay.w = 1.0 と定義すると、クリッピング座標系と正規化デバイス座標系が一致するため、 今回は正規化デバイス座標系 => クリッピング座標系 の変換は省略できます。

JavaScriptからシェーダにuniformを渡すコードはこんな感じです。 逆行列の計算はJavaScript(CPU)側で事前に行う実装としました。

コード3.3 シェーダにuniformを渡すJavaScriptのコード

cameraWorldMatrix: { value: camera.matrixWorld },
cameraProjectionMatrixInverse: { value: new THREE.Matrix4().getInverse( camera.projectionMatrix ) }

カメラの完全な同期ができただけでなく、さらにパフォーマンス的な改善もできました。 cameraProjectionMatrixInverseを再計算するタイミングは camera.projectionMatrix が更新されたときのみです。 今回の作品ですと、camera.projectionMatrix が更新されるのは画面のアスペクト比に変化があったときのみです。 方法3では毎フレーム実行される処理の中で Vector3 のインスタンスを作成してしまう問題が残りましたが、これも解決できました。

方法4: 逆行列を用いずに、カメラ行列を渡す

方法3ではプロジェクション行列の逆行列を計算していますが、シェーダ内でカメラ行列を分解すれば、この処理すら省けます。

次のコードはCEDECのデモシーンへようこそ 4KBで映像作品を作る技術、およびゲーム開発への応用 で紹介されていたものです。

カメラ行列の分解

Y-upとFOV(focal_length)も同期できています。

今思うと、mrdoobは “decompose the camera matrix” という言葉を使っていたので、この方法を意図していたのかもしれません。

今回の例ですと、プロジェクション行列が更新が必要なのは画面のアスペクト比が変わった時だけですし、 シェーダ内の処理はなるべく単純にしたいので、今回であれば方法3で十分かなと感じています。 まだ実装していないので、実装したら書き味やパフォーマンスを比較したいです。

まとめ

レイを生成する方法は様々ですが、three.jsの Control クラス等の資産を利用し、 毎フレーム実行される処理を減らしてパフォーマンスを向上させたいのであれば、カメラ行列からレイを生成する方法をオススメします。

おまけ

今回のPRを送った直後に、日本に旅行中のmrdoobを囲んだthree.js界隈の人たちとの飲み会があったので、参加させていただきました。 参加者のみなさんありがとうございました。

英語はとても苦手なのですが、作品やPRについてmrdoobと少しお話しすることができました。サインまでいただけて大満足です🤗 勇気を出してPRを送って良かったなと思いました。


明日は @pandax381 さんの記事です。それでは!

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